SUPER STUDIO 鈴木浩二・今必要なのは「プロデュース力」なのでは?SUPER STUDIO INC. 鈴木浩二

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SUPER STUDIO INC. 総合プロデューサー 鈴木浩二
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今必要なのは「プロデュース力」なのでは?
―――前例に学ぶ。“1980年から始まる、景気を牽引する小時代はいかに出来たか。”―――
失われた十数年を経て、踊り場を出た2006年 今、「プロデュース力」こそが必要なのでは?


建設的な小時代というのは、消費者がつくり出すもので、そのきっかけとなるプロデュースが必要であることを、鈴木は実践として経験してきた。
失われた十数年と言われるが、本当に失われていたものは何だったのか、踊り場から抜け出した2006年の今こそ、業種・業態を横断させた、具体的なプロデュースへのサクセス・ストーリーが必要であると実感する。  (唐津一顧問も同意見。)

1978〜79年、不況下にあった日本で、「Y.M.O.」のテクノサウンドが大ヒットした。

詩はクリス・モスデル。音のリリックスとして、まさに機械音とともに火を噴き揚げる京浜工業地帯。そして、鈴木が描いた「欲求機械(人間−機械−都市)」という世界観(Y.M.O.武道館パンフレットとCF参照)があった。
これらのリリックスから成る、時には軽快な機械音、時には重い機械音は、「機械」と「人の器官」とを、親しみを持って考えることのできる、日本人のアイデンティティに近い音として、日本人を勇気付けた。街中にその音が溢れた。

鈴木も加わってコンセプトワークを手掛けた「Y.M.O.世界戦略」。
その皮切りとしての「WORLD 80 世界ツアー」は、日本で初の衛星生中継として、米国から世界へ、日本へと、同時発信された。
その軽快な機械音、重い機械音を、いつも傍に置きたい、持ち歩きたい、という消費者のニーズを、メーカー群が読み取り、カセットテープが飛躍的に売れ、その再生機としてのウォークマンの爆発的なヒットにつながっていった。

富士フィルムは、Y.M.O.「WORLD 80 世界ツアー」のへのスポンサードとして、(鈴木リリックスにより) Y.M.O.と世界観を共有したCFを制作、「WORLD 80」の海外生中継の合間にこれを放映することで、「フジカセット」のイメージを強烈に訴求した。

当時、オイルショックの影響が長く続き、家電売上の不振が続く中で、秋葉原では、どの店舗でもこの中継を録画・再生し、ポジティブなハイテク音と、鈴木によるドローイングの入ったCF映像を、繰り返し売場で流した。
軽快なハイテク音がハイテク家電への購買行動につながり、秋葉原の電気街は大きく売上を伸ばした。(秋葉原のホームページ参照。http://www.akiba.or.jp/history/5.html

ソニーは、当時企画あるいは宣伝部長だった黒木靖夫氏が、こうした音に牽引された購買行動を素早く読み取り、「ウォークマン」(1979〜)を大成功させた。
※ 1978年当時、黒木氏に、鈴木と松武秀樹氏(Y.M.O.のコンピューター・プログラマー)を引き合わせたのは、NHKの吉成真由美氏。女史は後に、利根川進氏と結婚。

堤清二 旧セゾングループ・オーナーもまた、この小時代の始まりに気付き、堤氏の指揮により、鈴木が企画・事業化し、小売店舗における業態改革の世界的な先駆例となった「西友メカトロ店(能見台店)」(1982) を開発した。 同店は、“ハイテク&ハイタッチ”店舗(コピー:糸井重里)として、また、鈴木のプロデュースにより、同店への導入システム・コンテンツとして、日本で初めてのタッチパネルを使った「インタラクティブ・ゲーム」(ソニー、パイオニア、東芝) を開発・導入した。この店舗、及びこのシステム・コンテンツともに、その年の日経大賞を受賞した。

ここでのシステム開発が、筑波万博(1985) の「ソニージャンボトロン」の開発に合流し、また一方で、鈴木の企画・事業化により、筑波西武百貨店内への「ソニー初の実験店舗」の導入(1985) に至った。

日本人のアイデンティティに近い、シンセサイザーによるハイテク音は、音の小時代を生み出し、またハイテクによる小売店舗(メカトロ店)を生み出し、さらにはハイテクによる街づくりを生み出した。
これは事実であり、80年から80年代後半に至る、“クリエイティブで前衛的なサクセス・ストーリー”が高度成長に結び付いた、ハイテク国 日本らしい小時代形成の構造だった。

今必要なのは「プロデュース力」なのでは?
―――前例に学ぶ。国内において、海外(主に中国、ソビエト)に向けても、政治・経済・文化の
ジャンルを横断、計画化と実施に向けたプロデュース力におけるダイナミズムがあった。―――
日本に今必要なのは、「政策を提言・実行するプロデュース型の国会議員、自治体首長」と、
「新しい小時代を提案し、創っていくことのできる、若い世代からなるオピニオン・リーダー、
民間事業者たち」が横断して集まり、また横断して計画・実施に向かわせることのできるダイナミズムの保持と、プロデュース力のあるステージが必要であると考える。
かつて、国内の文化・芸術・政治・民間を横断させ、プロデュース力を発揮した先人に、松前重義という人がいた。
私・鈴木は、20代後半から40代にかけて、この松前重義先生より、多くのことを教わった。
私自身、松前氏がつくった「日本対外文化協会」の理事(1989年当時)や、他団体の主要なメンバーとして参加していた。唐津一先生、内田健三先生 ともに、同・松前氏を経て、私の師となった。
松前氏がつくった世界に比して、現在大きく問題なことは、「プロデュース力の欠如」であると感じている。
唐津一先生を座長とする、「生活大国実現のための街開発研究」や、「技術職人研究会」、「社会資本研究会」(社会資本整備のグランドデザイン研究) 等は、いずれも全くの任意の団体(研究チーム)であり、いわゆる流行り廃りに無縁の、参加者主体の、“いざと言う時の組織”(必要と感じればいつでも集まることのできるチーム)でもある。
次時代を見て、松前先生は、政経塾の前身となる 構想を持ち、活動を行っていた。
唐津一先生、内田健三先生は、松下幸之助氏とともに、松前氏の意志をついで政経塾をつくり、教えてきた。 だから、私・鈴木は、“政経塾のゼロ期生” と呼ばれている。
政経塾の枠に関わらず、超党派として、異なる志向を持つ議員や、民間の若手リーダーが集まって、いろいろな分野で提言し、またプロデュースを行うことのできるステージづくりが早く実現することを、私、唐津先生、内田先生は、ともに望んでいる。
「超党派議員による定期会合」
顧問 唐津一先生、内田健三先生
「社会資本研究会」メンバーリスト
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